断捨離と
いつか使うって思って
とってあったもの
「今」から
ちゃんと使わせてもらうことへの切り替え
余談ですが、写メのブルーの器を一目見ただけで
どこの誰が作ったのかわかる
焼き物が大好きなお友達の眼力にびっくり!!
大嶺さんの作品、我が家には2、3点と思ってたけど
いくつか発掘され
そうそう、これも!って
いろいろ出てきて、おもいだされてくると
こんなに自分の意識が届いていないものや、場所があったのかって
あらためてびっくりするし、あきれるし、人間てわすれる生き物なんだなとわらう
そして、まずは
ずーっと
ずっとほっといた、銀食器をみがく
右が磨く前
左が磨いた後
輝きがとつやが違う~
こんなにきれいだったんだ
使うの、うれしくなるなあ
いろんな箸置きもでてきて
お茶箱も発見したから
その中に収納して
手の届くところへ
このお茶箱は
おじいちゃんの叔母さん
わたしの大叔母さんのもの
生活を丁寧に送っていて
その当時、貿易会社に勤めていたひとと結婚して
外国生活や転勤もしたかただった
彼女の家に行くと
このお茶箱には
いつも季節ごとに花の柄の違う
急須と湯呑が入っていて
生活を季節であつらえて楽しむって
すごく余裕のあることだなって
農村育ちのわたしは、子供心に感心した記憶があり
その当時はもう、35年以上前なんだけど
聞いたことのない言葉と世界が
彼女の話から聞けたけど
幼稚園に入るか入らないかの年の私には
いんぐりっしゅがーでんとか
イギリスのアンティークのいすのすわりごこちとか、話されても
全くちんぷんかんぷんで
それは、うちのおばあちゃんもおんなじだったみたいで
わたしが?って思うポイントで
「それなんずらか?」
って聞いていた
(静岡県西部はズーズー弁なのだ)
農家の私の家の世界とは、全くの別世界で
外国の言葉を聞いてるくらいわからない会話だったな、と思い出される
今聞くことができたら、きっと興味津々
聞きたいことがいっぱいなんだろうな
叔母さんの家に行くと
働きづめのおばあちゃんの色の黒さと
叔母さんの色の白さが
対照的で
育ててるものの話も
うちは季節の野菜のこと
大叔母さんは
バラのアーチを作るには
鉄で出来てるだよ、薔薇のツタがはってあがれて、
薔薇の門になるだよ、おいわ(おばあちゃんの名前)って大叔母)
とか
バラには虫がつきやすいから農薬必要かしら
とか
(今は農薬に関して思うところありだけれど
当時の実家は、農薬を普通に使う農家だったので
そんなの使えば虫は一瞬のいちころだから
農薬が必要か、の議論に半日もかけるなんて?!と
思っていた子供だった・笑)
子供心に大人の話を聞きながら
食べ物をつくりながら生きる生活との違い、ギャップに
おばさんはいつも優雅で、働かなくていいんだなって
お野菜育てるんじゃない生活ってどんなだろう
大人の会話に退屈しながら思っていたことも
一つの思い出
いまは、自分が土から離れた生活をしているから
なんだか不思議
そのころのおばあちゃんの年にはまだわたしは20年ほど足りないけど
同い年のおばあちゃんや大叔母さんとあったら
どんな会話になるのかな
おもしろそう
って、そんなこと思いながら
のんきに片づけしている自分に
ふふふと笑う
鉄器の灰皿が出てきたから
蚊取り線香いれに
新旧交代!
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